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ましろの墓

by kanze on 2012年5月13日

真城渚(ましろなぎさ)は、俺の右上の席に座っていた。
髪は天パーで手入れをしてないのか艶もなく、全体的にもじゃもじゃしていて台所に置いてある使い古したステンレスたわしみたいな頭をしている。
顔は、はっきり言って不細工だと思う。
そばかすだらけの肌に赤く大きなニキビをいくつもこさえていて、女のくせに口元にはうっすらとひげのような産毛が生えていた。
いつも雑誌を広げてはぴーちくぱーちく騒ぐクラスの女共と比べ、男の俺から見ても女というものへの努力を怠っているように見えた。

真城渚は、そんな女だった。

 

***

 

「あ~あ。私も、もっと可愛かったらなあ」

休み時間。

机に突っ伏して惰眠を貪る俺の耳に、甲高い女の声が突き刺さった。

「え~、まゆは可愛いじゃん! 私の方が全然可愛くないし……」
「そんな事ないよ、梨恵ちゃんの方が可愛いって! 私、癖っ毛だから梨恵ちゃんみたいな綺麗なストレートの髪とか、ちょー羨まし~!!」
「……」

ホンの少し顔を上げて、俺はちらりと話し声のする方を見た。
俺の左隣りの席では、女子二人が雑誌を広げてあーだこーだと騒いでいる。

「…でもさ。真城さんに比べたら、うちら全然マシだよね」

少しトーンを下げたひっそりした声が、俺の耳に届いた。

「やだあ、あの子なんかと比べないでよ。真城さんは論外だよ、論外」

くすくすと含み笑いが交じった声が漏れる。
その声に俺はまた僅かに顔を上げると、今度は右上の席へと視線を送った。

右上の席には、大きなたわし頭が鎮座している。
たわし頭の名前は真城渚。
中学二年のクラス替えで初めて一緒のクラスになった女だ。
その特異な容姿に加え、いつもむすっとした顔をしていて、どこか近寄りがたい印象を受ける。
誰かとつるむといった事はせず、クラスでも完全に浮いている存在だった。

こんな至近距離で話をしているのだから、いくら小声とは言え、あいつの耳にも入っていそうだが、真城は気にもせず何やら熱心にノートに書き物をしている。
女ってのは、面倒くさい生き物だなあ。まあ俺には関係のない事だけど。
そんな事をぼんやりと思いながら、俺は惰眠を貪るべく再び机に突っ伏したのだった。

 

そう、たわし頭こと真城渚は、単なる教室の風景でありオブジェに過ぎなかった。
暇な授業中、たまにたわし頭の後頭部を見ながら、あのもじゃもじゃ頭にどれだけ物が隠せるだろうか……そんなアホな事を想像した事があるくらいで、特に気にも留める存在ではなかったのだ。
それに変化が起こったのは、夏休み少し前のことだった。

 

夏休み。飼育委員はクラスごとに一週間ずつ、うさぎ小屋の掃除をしなくてはいけない。

俺と真城はその飼育委員だった。

「藤波、真城。夏休みのウサギ小屋の当番、しっかり頼んだぞ」
「へ? なんすかそれ」

もっとも夏休み直前、担任が俺にこう言うまで自分が飼育委員だという事すらすっかり忘れていたのだが。

「おいおい、今までだって当番して来ただろうが。夏休みの日程表、渡すから取りに来いよ」

担任の言葉に渋々席を立ち、教卓へ向かう。
たわし頭も当然立ち上がると、一緒に教卓へ並んだ。

「……」

横に並んだたわし頭をちらりと盗み見る。
相変わらずむすっとした顔をして、担任から日程表を受け取っていた。
今まであった当番は、全部こいつが一人でやっていたんだろうか。
まあ、もう一人の飼育委員である俺がすっぽかしてたんだからそうなんだろうが、それならば俺なり担任なりに文句を言えばいいのに、なんでこいつは黙ってたんだ?

「うーむ……」

席に戻ってからも、俺はたわし頭の後頭部を睨みながら、唸っていた。
しかし、数分ほど考えている内に何だかどうでも良くなってきた。

「ま、いっか」

今まで担任にチクられなくてラッキーだったな。
それくらいに考えると、俺はふと、もらったプリントへと目をやった。
見れば、俺らの担当日は8月の20~24日となっていた。
あー無理無理。何が楽しくてそんなクソ暑い日に、くっさいウサギ小屋なんか掃除しなくちゃいけないんだ。
まあどうせ俺がいなくても、たわし頭が同じようにやってくれるだろう。
そう結論付けると、俺はすぐさま夏休みの飼育当番の事など頭の片隅に追いやってしまった。

……しかしそれが再び浮上したのは、夏休みに入って間もなくだった。

 

***
 

「今年は家族全員、山梨の別荘で過ごさないか?」

夕食時、珍しく家族全員が揃った席で親父がそんな事を言った。

「あら素敵! 私まだ、山梨の別荘に行った事なかったのよね~」

ぱっと顔を輝かせ、親父の隣の女が笑う。
まったく図々しい女だな。
俺と姉貴はお互い目を合わせた後、静かにため息を吐いた。
今年の一月からこの女……一之瀬香子は、親父の後妻になり俺達姉弟の継母になった。
親父より15歳も年下で31歳のこの女は、俺達姉弟だけの時にこうのたまった。

「初めに言っておくけど……私はあくまで豊さんのお嫁さんなの。あなた達の母親になったつもりはないから、悪いけどそのつもりでね」

開口一番に言い放ったその言葉に、俺と姉貴は唖然となったのを今でも覚えている。
そのくせこの女は親父と二人だけの時には、子供達と上手くいかないだの避けられてるかもしれないだの相談している場面を目撃した事があって、俺と姉貴はもうこの女と極力関わりを持つのは止めようと決めていた。

そんなお互いのねじくれた空気をようやく察して、親父はこんな旅行を提案したのかもしれないが今日までの七ヶ月間でこの女と俺達姉弟の溝は、修復不可能なほど広がってしまっている。

「旅行っていつ行くのよ?」

姉貴がため息交じりに親父に問い掛ける。

「ああ、8月の20日から一週間、休みが取れそうなんだ。だからその期間にどうだろうと……」「あー無理無理! 悪いけどその期間、友達と旅行の計画立ててるんだよねー」

親父が言い終わるよりも早く、姉貴が即答した。

「そ、そうか……なら稔。お前は部活もやってないし、大丈夫だろ?」
「え、俺?」

親父の言葉に俺は顔をしかめた。
……まずい。俺だってこんな旅行など行きたくもない。
姉貴は大学生だから友達との旅行の口実もつくかもしれないが俺はまだ中学生だ。
旅行に行くなんて嘘を言っても許してくれそうにないし……。

「あー、えっと俺は……」

煮え切らない返事でその場を濁しつつ、俺は頭をフル回転させた。
ん、まてよ。8月20日って確か……。

「実は俺もさー、ちょうどその一週間飼育委員の当番で学校に行かなきゃなんねーんだよね」
「飼育委員? そんなもの休むなり友達に代わってもらうなりすればいいじゃないか」
「そうも行かないんだよ。きちんと行かないと内申に響くらしいんだよなー」

内申に響く。
俺のこの言葉に、親父はぐっと押し黙った。

「ねえ豊さん。子供達もこう言ってるんだし、お言葉に甘えて二人で行きましょうよ」

すかさず、待ってましたとばかりに女が追撃する。
こいつにとっても、俺達姉弟がいない方が都合がいいに決まってる。
ここまでくれば親父もこれ以上言って来ないだろう。

「あ、ああ……そうだな、そうするか。しかし稔。皆いないとなると一人で留守番になるんだぞ? 大丈夫なのか、お前?」
「あのさ、俺もう中2だぜ? 金さえあればそこら辺で飯食えばいいんだし、風呂だって自分で沸かせるっつーの」

こうして、俺の家族旅行フラグは何とか回避されたのだった。

 

「あー、マジむかつくわ、あの女」

夕食後、姉貴の部屋で俺と姉貴はさっきのやり取りを愚痴っていた。

「ほんとよねー。なぁにが『子供達もこう言ってるんだし、お言葉に甘えて二人で行きましょうよぅ』だっつーの! 猫なで声出してキモいのよ、あいつ」
「ははっ! それ俺も思った!」
「ねえねえ稔、知ってる? あの女さ、家の中でも四六時中香水つけてんのよ! しかも何つけてると思う? シャネルの五番よ、シャネルの五番! マリリン・モンローでも気取ってるつもりなのかしらあいつ。マジうけるんですけどー」

姉貴は同じ女だからなのか、かなり激しい言葉で女を罵っている。
そして、ひとしきり鬱憤をぶちまけた後、思い出したように俺に言った。

「それにしても稔も飼育当番なんて嘘、よく咄嗟に思いついたわよね。あんたって、そういう咄嗟の嘘とかほんと上手いわよね~。詐欺師とかに向いてるんじゃない?」
「それ、褒めてんのかよ? それに飼育委員ってのは嘘じゃなくて本当なんだけど」
「マジで!? あんた飼育委員なんてやってんの?」

俺の言葉に、姉貴は心底驚いた様子で口をあんぐりさせている。

「俺だって好きでなったんじゃねえよ。クラスの奴に適当に任せてたらいつの間にかなってたんだよ」
「はあ……あんたらしいわね。それじゃ本当に飼育当番に行かなきゃいけないんだ」
「は? 行くわけないじゃん、そんなの。同じ委員のクラスの女が代わりにやってくれるだろ」
「あんたねえ、そんな事したら、その子が先生にチクるに決まってんでしょ」
「いやそれがさあ。今まで一度も掃除なんてやった事ないのに、そいつ何も言わないんだよな」

俺が不思議そうに言葉を返すと、途端に姉貴はにやけた顔になった。

「やだ、それって稔の事、好きなんじゃないのぉ?」
「げっ! 止めろよ!! あんなんに好かれても嬉しくねーし!!」
「ふーん、その子どんな子なのよ?」
「ブスもブス、たわしみたいな頭してクラスでも浮いてる変な奴だぜ。てかそもそも俺、あいつに好かれるような事なんもしてねーし」
「そーなんだ。まーあんたも一目ぼれされるようなイケメンでもないしねえ。男子に口答え出来ない気が弱い子なのかなあ」
「気が弱いって感じでもないけど……」
「じゃあ、あんたヤバいじゃん。夏休みの飼育当番まで行かなかったら、今度こそ頭に来て、今までの事洗いざらい先生にぶちまけるかもよ? そしたら、マジで内申に響くんじゃない?」
「ぐ……」

確かに、姉貴の言う事にも一理ある。

「あんた悪知恵は働くけど、頭は弱いんだからさ。ちゃんとしなさいよね、ほんと」
「う、うるせーなあ。俺もう自分の部屋に戻っから!」

継母への愚痴から俺への小言にシフトした姉貴から逃げるように、俺は部屋を後にした。
 
 
<一日目>
 
夏休みは、あっと言う間に過ぎていく。
だらだらしている内にいつしか親父達は山梨の別荘に出掛け、姉貴は彼氏と北海道へ旅立ち、そして俺は学校のウサギ小屋の前にいた。

「……あつい」

午前中のまだ涼しい時間帯のはずなのに、夏の日差しは容赦なく照り付け、じりじりと俺を焼いていく。

「ってか、なんでいないんだよ……」

せっかく時間通りに来たというのに、うさぎ小屋の前には人っ子一人いなかった。
……時間を間違えたか?
再度時間を確認すべく、俺は日程表を入れてある制服のズボンのポケットに手を入れた。

「な、なんでいるのっ!?」

瞬間、背後からひどく驚いた声が響いた。

「あ、真城」

振り返れば、見覚えのあるたわし頭がそこにはあった。
うさぎ達の餌だろうか、野菜やら草の切れ端が盛られたザルを手に持ちながら、真城は怪訝な視線を俺に送っている。

「なんでって、今週当番なんだろ? だから来たんだけど……」

怪訝な視線を送る真城に対し、俺もまた同じような視線を真城に返した。
せっかく来てやったのに、なんでこいつは不機嫌そうなんだよ。

「……今まで一度も来なかったくせに」

ぎろりと睨みを利かせたまま、真城は吐き捨てるように呟いた。

「…んだよ、だから夏休みはこうして来たんじゃないか。それに当番とか俺、今まで全然知らなかったんだよ。自分が飼育委員だって事、忘れてたからさ。第一お前も最初に俺が当番に来なかった時に言ってくれれば、ちゃんと……」
「何それ、今まで来なかったのは私のせいだって言いたいの?」
「何もそこまで言ってねーだろ。じゃあ、なんで今まで何も言わなかったんだよ」
「すぐに自分の役割を忘れるような、忘れっぽくて責任感もない奴と一緒に掃除しても邪魔になるだけだと思ったから、放っておいただけよ」
「なっ……」

何だこいつ!?
そりゃ今まで当番をさぼってたのは悪かったと思うが、何もそこまで言う事ないじゃないか。
敵意をむき出しにする真城に、俺は思わず呆気にとられてしまった。
真城はそんな俺を無視して、すたすたとウサギ小屋に向かって歩き出す。

「おい、真城……」
「何? 心配しなくても先生には言わないであげるから、そのまま帰ったらいいじゃん」
「帰らねーよ! やるって言ってんだろ、掃除」

真城の言葉にイラついた俺は、反射的に言葉を返した。
掃除は嫌だ。
だが、たわし頭の言う通りにこのまま帰るのはひどく癪に障ったのだ。

「……ふーん」

真城は一瞬、意外そうに目を見開いたが、すぐさまいつもの仏頂面に戻った。

「じゃあ、小屋の裏からほうき二本とちりとり持って来て。まずは掃き掃除するから」
「はいはい、わかりましたよ」

何だか、たわし頭に顎で使われているようでムカつくが仕方ない。
俺は適当に返事を返すと、うさぎ小屋の裏手へ向かった。
真城もまた動きだした俺の姿を一瞥すると、小屋の中へと入っていく。

「あっ!!」

小屋の裏手に回った所で、中から真城の声が聞こえた。

「……なんだ?」

一体、どうしたのだろう。
俺は、納戸からほうきとちりとりを取り出すと、真城がいる小屋の中へと入っていった。

「おい、真城。でかい声なんか上げてどうしたんだよ」

小屋に入ると、真城は棒立ちのまま、ある一点を見つめていた。

「うわっ、なんだこれ、ちっちぇえ!!」

その真城の視線を追った先に飛び込んで来たモノを見て、思わず俺も声を上げてしまった。
視線の先、小屋の隅っこでは小さな子ウサギが数匹、よたよたと覚束ない足取りで地面を歩き回っていたのだ。

「うわあ俺、ウサギの子供とか初めて見た。すっげーちっちゃいんだなあ。生まれてどれくらいなんだろな」
「……」

興味津々の俺とは対照的に、真城は眉間の皺をさらに深く刻ませ、子うさぎ達を睨むように見つめている。
なんだこいつ。
普通、女ってこういう可愛い小動物とか好きじゃねえの?

「ちゃんと分けてあったのに……」

真城は子ウサギ達を見つめたまま、ぶつぶつと何か呟いている。
そしておもむろに足元近くにいたウサギを持ち上げたかと思うと、腹を向かせ股間の部分を凝視し出した。

「お、おい、お前何してんだよ……」

突然の真城の行動に、俺は引きつった顔を真城へ向けた。
気持ち悪い事してんじゃねーよ! 何がしたいんだよこいつは!?

しかし、真城は俺の視線などお構いなしに、やけに真剣な顔をしている。
やがてウサギから顔を離した真城が俺に向かって言った。

「ウサギ小屋、オスとメスを柵で分けてるはずなのに誰かがオスのウサギをメスの柵の中に入れちゃったみたい。だから、オスのウサギがどれか確かめてるの。あんたもぼさっとしてないで、ちょっと手伝ってよ」

そう言われるまま、俺は真城の持っていたウサギを手渡された。

「その子はメスね。確認した子を渡していくから、混ざらないように端に寄せて監視してて」
「お、おう……」

指示されるまま、流れ作業的に俺は真城が確認したウサギ達を小屋の端に集めた。
七匹ほどいたウサギを確認するのには大した時間は掛からず、ほどなくしてオスのウサギは見つかった。

「なあ、なんでオスとメスで柵分ける必要あんの? 子供が生まれるからか?」

オスの柵の中へウサギを戻した真城に、俺はふと疑問に思った事を投げ掛けた。

「子ウサギ可愛いじゃん。別に生まれたら育てればいいだけの話だし、わざわざ分けるのも面倒臭い気がすんだけど」
「……はあ」

何げなくいった一言に、真城は深くため息をついた。

「知らないの? ウサギって繁殖力すごいのよ。オスとメスを一緒にしたら、たくさん子供産んで世話もそれだけ大変になるってのが分かんないの?」

心底呆れたような視線を真城が俺に送る。
俺を責めるような眼差しだ。

「何だよ、ちょっと疑問に思っただけじゃん。んなトゲトゲしなくなったいいだろ」
「別にトゲトゲしてるワケじゃなくて、これが私の素なんだけど」
「あー、さいですか」

はあ……会話したと思ったら、すぐこれだよ。
今まで大して話した事もなかったけど、他の奴らにもコレならこいつがクラスの女子からハブられる理由も理解出来るな。

「あと、赤ちゃんウサギってすごい弱いの。だからすぐ死ぬんだ。病気したり衰弱したり、あと他のウサギに殺されたりとかしてね」
「え、マジで?」
「そうだよ。気に入らないからって攻撃されて殺されたり、ストレスが溜まったお母さんウサギに食べられたりする事だってあるんだから」
「うえ、マジかよ……」

知らなかった。こいつら、可愛い顔して随分エグイ事するんだな。
俺は地面をぴょこぴょこと飛びまわるウサギを見て少し寒気がした。

「それにしても真城って、ウサギに詳しいんだな。家でも飼ってんの?」
「小学校の頃からずっと飼育当番だっただけよ。小学校のウサギ小屋はオスメスも一緒で、管理もここよりもずっと悪かった。だから赤ちゃんウサギがたくさん生まれて、たくさん死んだの。私、いつも死んだ子ウサギを小屋の裏に埋めてたし」
「うげ。嫌な仕事だな、それ」
「……子供なんて生まれる必要がないなら、生まれない方がいいに決まってる。だから、オスとメスはきちんと分けなきゃダメって事」
「ふーん……」

こいつはこいつなりにきちんと考えてんだな。
俺は安易な事を言った自分が少しだけ恥ずかしくなった。

「なんか話し過ぎちゃった。早く掃除終わらせよう。あんたも早く帰りたいでしょ?」
「あ、ああ。そうだな」

 

***

 

「うわあ、こいつ白くてちっさいなー」

うさぎ小屋の中を掃除している最中、俺は一匹の子ウサギに目を魅かれた。
赤い目の真っ白なうさぎ。
小屋の中のうさぎは、黒や灰色。まだら模様のウサギばかりで、真っ白なウサギはこいつ一匹だけだった。

「ウサギと言ったら、やっぱり真っ白だよなー」

白い子ウサギはまるで俺の言葉に反応するように小首を傾げ、耳と鼻をぴくぴくと動かしている。
……やべえ、ちょっとコイツ可愛いかも。

「そうかそうか、お前もそう思うか。よし、じゃあ俺が名前をつけてやろう。そーだな、真っ白だから……ましろ! ましろにしよう」
「名前なんて付けるの止めなよ」

背後から真城の刺すような声が聞こえ、俺は思わず振り返った。

「は? 別に俺がコイツをどう呼ぼうが俺の勝手じゃん。あ、もしかして名前が似てるのが嫌なのか? 安心しろって、似てるのは名前だけで他は微塵も似てないからよ」

吐き捨てるようにそう言うと、俺は再び子ウサギに向き直った。
ったく、いちいち俺のする事に口出しするなよなあ。
少し見直したと思ったらすぐコレかよ。

「そういう事じゃない! 名前をつけて形だけ可愛がるのが嫌いなだけ」
「はあ……相変わらず可愛くねえのな。そんなんだから、周りからハブられんだよお前」
「……」

しまった。
背後で黙り込んだ真城の様子に、何だか背筋が寒くなるのを感じる。
真城の奴、さすがに傷ついたか?
いや、でもアイツの事だから大して気にしてないだろう、うん。
そう心の中で頷き、俺はちらりと後ろを向いた。

「なっ……」

真城は、泣いていた。
肩を震わせ、唇を白くなるほど噛みしめて。
じっとこちらを睨みつける瞳からは、ぼろぼろと大粒の涙が溢れ、零れ落ちた雫が地面にいくつもの黒い染みを作っていた。

「あ、えーと……」

気まずい。
いくら相手が真城とは言え、女を泣かして平然としていられるほど、俺も無神経じゃない。
けれど何と声を掛けていいのかも分からず、ただお互いの間に何とも言えない気まずい空気だけが漂った。

「もう……帰ってよ。後は私がやるから」

ごしごしと涙を拭った顔を上げ、真城が俺を見た。
うさぎみたいに、赤い目をしていた。

「あー……うん、そうするわ」

ここは大人しく真城の言う事に従った方がいいだろう。
俺は、持っていたほうきをその場に置くと、出口に向かって歩き始めた。

「じゃあな」

小屋から出る直前、振り返り真城に言う。
しかし真城は後ろを向いたまま、ただ黙々とほうきを動かしているだけだった。

 

 

「ったく、散々だ……」

ほぼ真上に上がった太陽はより一層その暑さを増し、道端の陽炎を揺らめかせる。
うさぎ小屋を後にした俺は帰宅するでもなく、ぼんやりと周辺を散歩していた。

「なに、俺が悪いワケ?」

立ち上る陽炎を眺めながら、俺の心の中にも陽炎のようにもやもやとした形のない居心地の悪さが居座っている。
俺の発言でたわし頭が泣いたのかもしれないが、俺はあくまで事実を言っただけだ。
悪口を言ったわけじゃない。
それに謝った所でアイツの性格からしたら、火に油を注ぐだけだったような気もする。

「あー、くそ! じゃあ、どうすりゃ良かったんだよ」

もういい。もう、たわし頭の事を考えるのは止めよう。
そうだ、無理してうさぎ小屋の掃除にも行く必要なんてないんだ。
今日の事でアイツだってもう俺と一緒に掃除なんてしたくないだろうし。
俺は真城に会いたくない。
真城も俺に会いたくない。
ならば、うさぎ小屋の掃除に行かないのがお互いのタメだ。
俺は俺で、中学二年のこの夏をめいっぱい楽しめばいいのだ。

「よし、そうと決まれば……」

俺は携帯を取り出すと、友達にメールを送った。
明日は友達を家に呼んで騒いでやる。
うさぎ小屋なんて行ってられっか!!

 
 
<二日目>
 

翌日。
俺は携帯で連絡の取れた友達を家に呼び、リビングでだらだらとだべっていた。
当然、当番には行っていない。
クーラーの効いたリビングで、ゲームをしつつ菓子を食べながら過ごす。
うん、これだよコレ。
ああ、昨日一日だけでもクソ真面目にうさぎ小屋に行った事が悔まれる。
そもそも、昨日うさぎ小屋に行かなければ俺がたわし頭の事で気を病むこともなかったんじゃないか。
つくづく行かなくて正解だな。

「なあなあ、藤波~」
「ん? なんだよ宍戸」
「お前さあ、何でまた突然、遊ぼうとか言い出したの?」

PSPの画面に視線を落としたまま、宍戸が俺に尋ねる。

「……特に理由なんてねーよ。暇だったから呼んだだけだけど?」
「ふーん」
「何だよ、なんか言いたそうだな」
「いやさあ、さっきからお前見てっと考え事してる感じだったから、なんかあったのかな~って思っただけ」

そう言って宍戸は一瞬だけ俺に視線を送ると、再びPSPの画面に視線を戻した。
俺、他人から見ても分かるくらい考え込んでるように見えたのか?

「別に何もねーから心配すんなって。まあ、ちょっとムカつく事はあったけど」
「へー、どんな?」

……別に隠す必要もないし話してみるか。

「お前さあ、真城の事どう思う?」
「ましろ? それって俺らのクラスの? …うーん、俺あんまりアイツと話した事ないしなあ……てかそんな事聞くって事は、真城の事好きなの?」
「つまんねー冗談言ってんじゃねーよ、そんなワケあるか!! 実はよ……」

俺は宍戸に昨日の事を話して聞かせた。

「……それで怒りだすわ泣きだすわで大変だったんだよ。マジ、あいつなんなんだろな」
「さ~俺も分かんないなあ。あれじゃん、女の子ってなんかそーゆーもんなんじゃないの?」
「お前も適当だなあ……」
「あー、そういや一つ思い出したわ。真城、一年の中頃で名字が変わったんだよなあ。確か前は、会田とかそんな名字だった気がする」
「え…マジかよ?」
「うん。俺、一年の時も真城と同じクラスだったからさあ。まーでも、だから何って感じだけど」
「へえ」

あいつも、俺と一緒なのか。
俺は父親だが、名字が変わったって事はアイツは母親の方に引き取られたんだろう。
しかし、宍戸の言ったようにそれが何だってんだ。
離婚しようがしまいが、アイツの顔の悪さと性格の悪さが変わるワケでもない。

「あー止め止め! もう真城の話は止めにしよう。なんか思い出してイライラして来た」
「なんだよ、お前から話振って来たんだろ~」
「うっせー!!」

 

***

 

夕暮れ時の街。
昼よりは気温が下がったものの、ぬるい風が頬を撫で、じわりと肌に汗が浮かぶ。

「さーてと、今日は何食おっかな」

親父から一週間分の食費として一万円をもらった俺は、心弾んでいた。
昨日はコンビニ弁当で済ませたが、今日はファミレスで夕飯を食おうかな。
一人でファミレスに入るのは少し抵抗があるが、何事も経験だ。
周囲をぶらつきつつ、俺は適当なファミレスに入った。

「いらっしゃいませ~。お一人様ですか?」

「あ、はい」

高校生ぐらいの店員に、店の奥の二人掛けの席に案内された。
ちょうどディナータイムのせいか、店内はがやがやと騒がしくカップルや家族連れなどで賑わっている。

「ん……?」

その光景を何となく眺めていた俺の視界に、見覚えのある髪型が映った。
窓側の四人席。
左側の席に座っているのは間違いない、あれはたわし頭だ。

「げっ」

よりによってこんな時に出くわすなんて。
俺の席から真城が座っている席は全体が見渡せる位置にあり、真城の顔がよく見えた。
真城の向かいの席には中年の男女がおり、女の膝の上には1~2歳くらいの女の子が座っている。
家族でファミレスに食事にでも来てるのか?
あれ、でも真城って離婚したんじゃなかったっけ。そうか、名字が変わったのは離婚したんじゃなくて再婚したからなのか。
あーくそ、あの位置じゃドリンクバーを取りに行こうとしたら、バレちまいそうだ。
しょうがねえ、ドリンクバーのセットはなしでこのハンバーグ定食でも頼むか……。
そんな事を考えながらメニューと睨めっこしつつ、視界の端に真城の姿を捉えていた俺は奇妙な違和感に気付いた。

「……うーん」

ここからじゃ会話までは聞こえないが、顔を見る限り真城は一言も喋っていなかった。
口を固く閉じたまま時折窓の外を眺めたり、食べかけの食事をじっと見つめている。
片や反対側の席では真城の親であろう二人は、膝に座った妹らしき女の子に話しかけてばかりで、完全に真城の事は視界に入れてないように見えた。
あれじゃまるで真城が幽霊だ。

ふと、その幽霊に興味を示したのか膝の上に座っていた妹が、手に持っているオモチャを渡したいのか真城の方へ手を伸ばした。
真城もそれに気付き俯いていた顔を少し上げる。さっきまでと違い、少しだけ表情が柔らかい感じがした。

「あ」

しかし玩具を受け取ろうとした真城の手を、隣にいた父親が払いのけた。
そして妹の手から優しく玩具を抜き取ると、何事もなかったように会話に戻る。
伸ばしたままの真城の手が、虚しく空中に残った。

「……」

少しして食事を終えた両親が立ち上がりレジの方へ歩き出した。真城も静かにその後に続く。

「やばっ」

俺がいる事を知られたらマズイ!
俺はメニューを引っ掴むと、慌てて顔を隠した。その刹那、 俺のすぐ脇を真城達が通り過ぎていく。真城は俺に気付く事なく、そのままファミレスを出て行った。

「はあ……」

なんか……すげー疲れた。
心に妙なモヤモヤを残したまま、俺の視線は気付けば空っぽになった窓際の席に向かっていた。

 
 
<三日目>
 

「よう」
「な、なんで……」

次の日。
うさぎ小屋に現れた俺を、真城は化け物でも見たような目で見つめた。

「なんでいるのよッ!?」

しばらく間を置いて真城が思い出したように叫ぶ。

「うるせーな。何ぼさっとしてんだよ、掃除すんだろ?」
「何なの、あんた……何がしたいのか全然分かんないんだけど」

はあ、と深いため息を真城が吐いた。

「まー、分かんねえ事は気にしても無駄なだけだぜ。ほら、お前の分のほうき」

俺は持っていたほうきを真城に投げてよこした。
真城は俺の行動に一瞬ぽかんと顔を呆けさせたが、すぐ元の仏頂面に戻る。

「……そうね。掃除しましょ」

うさぎ小屋の中は定期的に掃除しているにも関わらず、うさぎのフンや野菜の食べカスなどが散らばり、そこそこ汚い。

周囲をほうきで掃き掃除しつつ、新しい餌と水やりをこなす。
新しい餌を皿に盛ると、すかさずウサギ達がわらわらと集まり出した。
その中には俺が名前をつけたましろもいて、小さい口を精一杯動かしモシャモシャと餌を食べる姿は中々に可愛かった。

「あー終わった終わった」

黙々と作業を続けたお陰か、掃除が終わるのに大した時間は掛からなかった。

「じゃあ、私帰るから」
「あ、ちょっと待て!!」

踵を返した真城に俺は声を掛けた。

「何?」
「すぐ戻って来るからちょっとその場で待ってろ! 五分くらいで戻ってくっから!!」
「ちょっ……」

何か言いたそうな真城を無視して、俺は駆け出した。

校門を飛び出て、俺は学校のすぐ脇にあるコンビニに向かった。

コンビニから戻って来ると、俺が言った通り真城は大人しくその場で待っていた。

「ほらよ」
「え?」

俺はコンビニで買ったアイスキャンディーを真城に手渡した。
真城はまだ、きょとんとした顔のままでいる。

「なにこれ?」
「見て分かんねえの? アイスキャンディ」
「だから、なんで私に……」
「ほら、今日めっちゃ暑いだろ。こんな日は一仕事した後、アイス食いたくなるじゃん。まー俺だけ食うのも悪いから、仕方なくお前の分も買って来てやったんだから早く食おうぜ」

そう言ってアイスキャンディーの袋を開ける。
中から、空色をしたお馴染のアイスキャンディーが顔を出した。

 

セミの声が響く中、校舎裏の壁に寄り掛かって俺達はアイスを食べた。

口の中に広がるソーダ味はこの上なく爽快だ。
ちらりと真城を見れば、真城も黙々とアイスを口へ運んでいる。
このアイスは、コイツへのちょっとした罪滅ぼしだ。
なんつーか、こいつも色々大変みたいだしな。
まあ、暑くてアイスが食べたかったって方がでかいけど。

「あ…」

アイスを食べていた真城が小さく声を上げた。
その声につられ、視線が自然と真城に向かう。

「おーそれ、アタリ棒じゃん!!」

真城の食べていたアイスの棒には、一本アタリと大きく書かれていた。

「すげーすげー! 俺、アタリとか初めて見た! 運いいんだなあ、お前」
「……ぷっ」
「な、何だよお前、何笑ってんだよ!」
「だって、すごい驚きっぷりだったから……そんなに珍しかったら、あげようかコレ」
「いや、それはお前が持っておくべきだ。こーいうのは己の力で勝ち取ってこそだからな」
「……じゃあ、もらっておく」

ぽつりとそう呟くと、真城はスカートのポケットにアタリ棒をしまった。

「あーくそ、次は俺も絶対アタリ棒引いてやる」
「ぷっ…あははっ!」
「だから、笑うなっつーの!! 何がそんなに可笑しいんだよ!」
「だってすごい真剣な顔なんだもん、なんか面白くって…あはは!!」
「……」

こいつの笑った顔、初めて見た。
真城は顔全体をしわくちゃにして笑う。
元が元なので可愛くもないが、いつもの仏頂面よりかは笑ってた方が幾分かマシだな、うん。
セミの声と一緒に響く真城の笑い声を聞きながら、俺はぼんやりとそんな事を思った。

 
 
<四日目>
 

うさぎ小屋の掃除も四日目となれば慣れたもんだ。
昨日と同じようにウサギ達に餌をやり、小屋の掃除をする。
動物を飼うなんて面倒な事だと思ってたけど、こうして実際に触れ合ってみると動物を飼ってみるのも悪くないんじゃないかとも思う。

「よーしよし、ましろ。いっぱい食べて早く大きくなれよ」

もそもそと餌を食べるましろに声を掛けてみる。
ましろは聞いてるのか聞いてないのか、鼻をヒクヒクさせながらキャベツの芯をもそもそと食っている。
そっと背中の辺りを撫でてみると、マショマロみたいにふわふわしていて、ぎゅっと力を込めたらそのままペシャンと潰れてしまいそうな柔らかさだった。

「そんなに気に入ってるなら、抱っこしてみれば?」

餌を食べているましろをしばらく撫でていた俺に、背後にいた真城が声を掛けて来た。

「抱っこたって……どうやって抱っこすりゃいいんだよ」
「こうやるの」

真城は俺の隣に屈むと近くにいたウサギを優しく撫で出した。
ウサギが真城から離れないのが分かると、そのまま右手を下にすくい入れ、もう片方の手をウサギの尻の部分にしっかり当てて持ち上げる。そして座ったひざの上にウサギを置いた。

「ウサギが嫌がるかも知れないから、撫でて慣らしてから優しく膝の上に抱きあげて」
「お、おう」

真城に言われた通り、見よう見まねでやってみる事にする。
幸いましろは俺に撫でられるのは嫌じゃないようで、俺に撫でられたまま大人しくじっとしている。
そのましろをびっくりさせないよう、そっと腹の下に手を入れ、もう片方の手で尻を押さえすくい上げ、ひざに乗せた。

「おお……」

俺の膝の上に乗ったましろは羽根みたいに軽くて、ひざに乗ってるのが分からないほどだった。
ただ、じんわりとした暖かさを感じる。

「……」

俺はしばらく無言のまま、ましろを撫でた。
当たり前だけど生きてるんだよな、コイツ。
ぬいぐるみみてえに小さくて可愛らしい姿をしているせいか、何だか返って作りモノみたいに感じていたのかもしれない。
肌に伝わる温度と鼓動が、コイツが生きているんだという実感を俺に強く感じさせた。

「満足した? あんまり構い過ぎるのもストレスになるからそろそろ離してあげて」
「あ、わりい」

真城に言われ、俺はウサギを地面へと下ろした。
地面に降りたましろは、何事もなかったように再び落ちている葉っぱをもそもそと食い始める。

「餌やりも終わったし、今日の掃除は終わりね」

俺がウサギを地面に置いたのを見届けると真城は立ち上がり、外へと出て行く。

「ん?」

ふと地面を見れば何か落ちている。
立ち上がった拍子に真城のスカートのポケットからでも落ちたんだろうか。

「なんだこれ、小瓶か?」

拾い上げたそれは小さな瓶だった。
中には何やら透明な液体が入っている。

「おい、真城。何か落としたぞ」

うさぎ小屋を出ると、俺は真城に声を掛けた。

「あっ!!」

小瓶を見て真城はひどく驚いた顔をしたかと思えば、すかさずソレを俺から奪い取った。

「ったく、何すんだよ! 俺は拾ってやったんだぞ?」
「あっ……ごめん、ありがと」

やや遅れて、真城が申し訳なさそうに呟く。
取り乱すほど、この小瓶が大事なのか?

「何なんだよ、その小瓶」

ちょっとした好奇心から、俺は何となく真城へ尋ねてみた。
俺の言葉に、真城は手に持った小瓶をじっと見つめる。

「……仕方ない。どうせあんたも忘れちゃうだろうから、教えてあげる」

僅かに顔を上げ俺を見た真城の目は、どこか鈍い光を放っているように見えた。
そして少しの間を置いて、真城はゆっくりと語り出した。

 

少し前に女の子と知り合ったの。
年はわかんないけど、見た目は私と同じくらいか少し上くらいかな。
全然知らない子だったけど私、その子とは昔から友達だったみたいにすぐ色々な事を話せた。
普段なら、絶対こんな事ないんだけど。
自分の事を話している内にね、その子がこの小瓶をくれたの。
何でも願いが叶う小瓶だよって。
これであなたの願いを叶えてご覧って。

 

「この瓶の中に溜まっているのは心の水なんだって。強く願う気持ちが私の心から零れる度に、この小瓶に溜まっていくの。それが小瓶いっぱいになったら、その願い事が叶うんだよ」
「……あほらし」

こいつもやっぱり女か。
女って、ワケのわからない占いにはまるよなあ。
けれど白けた視線を送る俺などには目も向けず、真城は相変わらず小瓶の中の液体を見つめている。

「小瓶の水も、あとちょっとでいっぱいになる。もうすぐ願いが叶うよ」
「はあはあ、さいですか。それで、真城はどんなお願いをしたんだよ」
「私が、いなくなりますように」
「なんだそれ。いなくなるって、転校でもしたいのか?」
「違うよ」

にやりと、真城が笑った。

「この世界に何の影響も与える事なく、いなくなるって事」
「はあ? ……っておい、まさか自殺でもする気じゃないよな?」
「死にたくないよ。だって、怖いもん」

なんだ、びっくりさせんなよ……。

「ただ、消えたいだけ」

拍子抜けした俺の耳に、真城の抑揚のない声が響いた。

風がそよぎ、さわさわと梢を揺らす。
もじゃもじゃのたわし頭も揺れていた。

「私が私らしくいられない世界なら、私がいる必要はないと思わない?」

急に小瓶から目を離し、真城が俺を見た。
いつもと違い、まっすぐ俺を見つめて。

「どういう意味だよ、そりゃ」

俺は視線を逸らして呟いた。
何だか、真城の目を見ているのが怖かった。

「別に、そのまんまの意味だよ」

真城は言葉を続ける。

「私は……私が『私』でいようと頑張れば頑張るほど、苦しくなる。それで気付いたの。私が私でいる事はよくない事なんだって。今まで自分は自分だって頑張ってた事が全部意味がなかったんだって気付いたの」
「……ワケわかんねえよ、それ」
「別に分かってもらおうなんて思ってないからいいもん」

そう言って、口を真一文字に結び、真城は再び小瓶に視線を落とした。
その瞳がやけに真剣で、俺は返す言葉が見つからなかった。

「……あっそ」

しかたなく俺は、あくまで平静を装い興味なさげに言葉を返した。

たぷん。

瞬間、真城の持っている瓶の中の水が、大きく跳ねた。
まるで大粒の水滴が落ちたかのように。

「……ほらね、言ったでしょ?」

得意げに真城が俺に小瓶を見せつけてくる。

「そんなの、お前が単に瓶を軽く振っただけだろ? お前も中学にもなって下らない占いにハマるなって」
「いーじゃん、私の勝手でしょ。私を好きな人なんていないし、いなくなったって誰も困らないんだし」

俺はお前のこと、結構好きだけど。
そんな言葉が喉まで出かかったが、寸での所で飲み込んだ。
好きってのは、もちろんそういう意味じゃない。
まあ、友達として接する分には好きだって意味だ。
それにそーいう意味がなくとも『好き』だなんて言葉を出したら、こいつが変に誤解しかねないだろうし。
クラス一の美少女ならいざ知らず、よりによって、なんでこんなたわし頭に『好きだ』 なんて言葉を……。

「もうすぐ、もうすぐ……」

真城は再び小瓶を見つめながら、呪文のように言葉を呟いていた。

 
 
<五日目>
 

その日は朝から柔らかい雨が降っていた。

「……」

ウサギ小屋に入ってすぐ目に飛び込んだ光景に、俺も真城も言葉を失った。
地面に広がる血だまりの上、冷たくなった白い塊がある。
ましろだ。

「うそだろ、おい……」

呆然と立ち尽くす俺の横で真城が静かに呟く。

「だから子供なんて生まれない方が良かったのに。悲しい思いするのは分かってたもん……」

雨音に消えてしまいそうなほど、小さな声で。

「なんで……なんでコイツが死ななきゃいけねえの? どいつがましろを殺したんだよ!?」

小屋の中のウサギ達は、いつもと変わらず何食わぬ顔をしている。
それが無性に腹が立って仕方がなかった。

「やめなよ、怒ったって意味ないよ。そういう風に出来てるんだから仕方ないんだよ」
「けど…!」
「それより早く埋めてあげよう。それが私達がこの子に出来る唯一の事なんだし」
「……わかった」

真城の言う事も最もだ。
俺がいくらムカついた所で、ウサギ達に伝わるわけでもない。
俺はぐっと怒りを飲み込むと、冷たくなったましろを抱えて外に出た。

「この木の根元の辺りに埋めてやればいいかな」

うさぎ小屋を出てすぐそばにある大きな木。
この木の根元に埋めてやれば、自然と土に還るだろう。

「なんか墓だって分かりやすい目印がありゃいいんだけど……」

ただ埋めるのは嫌だった。
ちゃんとここにましろが埋められているんだという証を残してやりたい。
ましろが、生きた証を。

「これ使いなよ」

真城がおもむろに一本の棒を取り出した。
この間のアイスのアタリ棒だ。

「いいのか?」
「うん」
「そっか、サンキュ」

俺は真城からアタリ棒を受け取ると、木の根元を掘り出した。
雨にしっとりと濡れた土は柔らかく、地面を掘るのは楽だった。

「これでよし、っと」

木の根元にましろを埋め、その上にアイスの棒を立てた。
棒には持っていたボールペンで「ましろの墓」と書いた。

「……」

ましろの墓を見つめたまま、俺達は無言でいた。
雨粒が梢に当たる音だけが静かに辺りに響いている。

「あ」

俺の横にいた真城が小さく声を上げた。

「どうした?」
「いっぱいになった……」

真城の手には、あの小瓶が握られていた。
真城の手の中、瓶の中の水は隙間がないほど満ち満ちていた。

「……掃除しよう。ずっと見てても生き返るワケじゃないし」
「あ、ああ……」

真城は小瓶をさっとポケットへと仕舞うと、ウサギ小屋の方へ歩き出した。
俺も遅れて真城の後を追う。

小屋の中は、血だまりがそのままになっていた。

真城と二人で血が混ざった土を取り除き、いつものようにウサギ小屋の掃除を済ませた。

掃除を終え外へ出ると雨は霧雨になっていて、細かい雨の粒が全身を包みこんだ。

「今日で当番も終わりか……」

長かったようで短かった五日間だった。
最後、あんな事が起こるなんて思ってもみなかったけどな。

「あのよ、色々悪かったな」
「何が?」

きょとんとした顔をして、真城が首を傾げた。

「その……今まで当番とかサボってばっかいてよ。大変だったろ、一人で」
「別に、慣れてるから私」
「今度からは当番きちんとやっからよ。あ、でも二学期になったらまた新しく委員決めするんだっけか」
「うん」
「まあウサギの世話も思ったより嫌じゃなかったし、また飼育委員やってやってもいいかもな」
「……ふーん、いいんじゃない? 別に」

真城は靴の先で濡れた地面をいじくっている。
白い靴の先が泥で段々と汚れていく。

「じゃ、私帰るね」

足元の動きを止め、真城が顔を上げた。

「ばいばい」
「あ、真城……」

真城は小さく手を振ると、俺がさよならを言う間も与えず、すぐさま後ろを向き駆け出した。

「また新学期になー!!」

真城の背中に向かって声を掛ける。
真城は一瞬、俺の言葉に動きを止めた。
しかしすぐまた走り出すと、やがて霧雨の中へ消えていった。

「ったく、せっかちな奴だな~」

何も逃げるように帰らなくてもいいじゃねえか。
よっぽど急ぎの用事でもあるのか?

「……」

どうしてだか、さっきから真城の言葉が妙に心に引っかかっている。
小瓶に水が溜まれば願いが叶うという、バカげたあの話が。

「まあ、本気にする方がどうかしてるよな」

虚空に向かって呟いた言葉は雨粒に交じり、俺の体に再び降り注いだ。

 
 
<ましろの墓>
 

「おっはー!」

「久しぶり~! すっごい焼けたね~!!」

新学期一日目の廊下は、久しぶりの再会を喜ぶ声でごった返していた。
そんな連中のやり取りを横目に見ながら、教室へと足を進める。

「ちーっす」

「おー藤波、おはよーさん。夏休みどうだった?」

教室の扉を開ければ、いつもの顔ぶれが俺を出迎えた。

「毎日だらだら過ごしただけだったな、俺は。そういう宍戸こそどっか出掛けたのかよ?」
「あはは、俺も右に同じかなー」
「だろ? ……っておい、あいつ誰だ?」

ふと視界に入った真城の席、そこには真城ではなく見慣れない女が座っていた。
ウエーブの掛かった髪を肩まで伸ばしたその女の周りには、何人かの女子が群がり談笑している。

「あいつって?」
「ほら、真城の席に座ってる奴だよ。今まで見た事ねえし、転校生かなんかか?」
「誰って真城に決まってんじゃん。おいおい藤波、夏休みボケも大概にしとけよ~」
「……は?」

あれが……真城だって?

「おい、お前こそボケてんじゃねえよ。あれが真城なワケねーだろ!!」

たわし頭とあの女じゃ、似てる要素を見つける方が困難なほど、似ても似つかない。
アイツはどう見たって真城じゃない。

「……お前マジで大丈夫か? 一体どうしたんだよ……」

しかし俺の言葉に宍戸は顔を引きつらせ、どこか怯えたような目で俺を見た。
その様子から宍戸が冗談を言ってるようにはとても思えなかった。

「……どうしたの、藤波君?」

背後で、鈴が鳴るような高い澄んだ声が聞こえた。
ゆっくりと声のする方へ振り向けば、例の女が不思議そうにこちらを見ている。

「お前……本当に真城、なのか?」
「そうだよ。もう、夏休みが長かったせいで私の顔忘れちゃった~?」

小首を傾げ華やいだ笑顔を俺へ向ける。
その笑顔は嫌味がなく、整った顔立ちのせいかとても可愛いかった。
けど違う。真城はこんな奴じゃない。

「違う! 俺が知ってる真城は……もっと不細工でちんちくりんで、髪の毛もたわしみたいにもじゃもじゃしてて……」
「ちょっと藤波!! あんた渚に失礼な事言ってんじゃないわよ!!」

俺の言葉を遮り、談笑していた他の女子達がここぞとばかりに俺を攻撃し出した。

「渚を不細工とかマジありえないんだけど。あんた目腐ってるんじゃないの?」
「あ~藤波君ってば渚ちゃんに構って欲しいからそんな事言うんでしょ。ほんと男子って子供だよね」
「……」

なんだこれ。
なんなんだよ、これは。
クラスの連中は、本気でコイツが真城だと思ってるのか?
俺だけが……。

「おい、藤波!?」

気付けば俺は教室を飛び出し、長い渡り廊下を全力疾走していた。
周りの連中が何事かと俺を奇異の目で見つめている。

廊下。

教室。

屋上。

どこを探しても、真城はいない。
俺の……俺の知ってる真城はどこだ?
どこに行ったんだよ!?

 

***

 

真城渚は、俺の右上の席に座っている。
髪はゆるくウェーブが掛かった薄茶色をしており、彼女が動く度にその髪はふわりと優雅に舞い、日の光に反射してきらきらと光る。
顔は、はっきり言って綺麗だと思う。
染み一つないキメ細やかな肌は陶磁器の人形のようで、ふっくらした口元は常に笑みを湛えている。
いつも雑誌を広げてぴーちくぱーちく騒ぐクラスの女子共からの羨望と嫉妬の交じった畏怖の視線を浴びながら、クラス一の美少女として君臨している。

「……」

今日も真城の席の周りにはクラスの女子達が群がり、下らない話に花を咲かせている。
一人俯き机に向かっていた、たわし頭の影は微塵もない。
世界は変わる事なく続いている。
ただ一つ、真城という存在を除いては。
皆の記憶から俺の知っている真城だけがすっぽり抜け落ち、代わりに今の真城が上書きされているかのように。

俺のこの記憶は、一体何なのだろう。
真城との思い出は……全ては俺の妄想だったのか?

「……そうだ」

俺はまだ一つ、確かめてない事がある。

 

俺は、学校の裏庭にあるウサギ小屋へ向かった。
ウサギ小屋の脇の木の根元。
ましろの墓はちゃんとそこにあった。

「……」

あのちんちくりん女は、俺が生み出した妄想の産物なんかじゃない。
アイツは確かに、ここにいたんだ。
ふいに、頭の中にいつぞやの真城の言葉が響く。

 

『私が、いなくなりますように』
『この世界に何の影響も与える事なく、いなくなるって事』

 

おい真城。でも俺は覚えてるぞ。
あの、たわし頭を。
顔中をしわくちゃにして笑うあの笑顔を。

瞬間、ちりちりと胸の奥が焦げるような痛みが走った。
さっきから感じるこの痛みは、一体なんなのだろう。

ましろの墓へ幾度も通う内に、俺はこの胸の痛みが何なのか理解した。
そして理解したからこそ、俺は今もましろの墓へ向かうのを止められない。

俺は今日もましろの墓へ向かう。

言えなかった言葉を、花束に添えて。