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僕の宝物

by kanze on 2012年5月5日

荷造りを解いた時、一本の鍵を見つけた。
その鍵はひどく古く年代を感じさせるもので、この家の鍵ではないようだった。
僕の家は、父親の仕事の都合で転勤が多い。
この家も先週引っ越して来たばかりで、部屋の片隅には、まだ前の住人の気配が残っている。
この鍵は、もしかしたら今まで住んでいた家の、どこかの鍵なのかも知れない。
古い鍵か……そう言えば昔、まだ小学生くらいだった頃にこんな鍵を使っていそうな、古い、田舎の家に住んでいた事があった。
ふいに昔の事を思い出し、何だか懐かしさに駆られた僕は、昔住んでいた場所に行ってみようと思い立った。
幸い、今は夏休みで学校も休みだ。
新しく越した土地で、知り合いも友達もいない僕には、この夏休みは長すぎる。
たまには昔住んでいた土地を訪れるのも、面白いかもしれない。
そんな事を思いながら、手元の鍵に視線を戻す。
その一瞬、脳裏に何かが過った。
それが何だったのか思い出そうとするのだけど、思い出そうとすればするほど、それはおぼろげになり、記憶の片隅に逃げてしまった。
……今のは何だったんだろう? トクン……と心臓が静かに波打つ。
どこか妙な感覚に囚われながらも、僕は荷解きもそこそこに、今度は旅支度を始めた。

懐かしい思い出を訪ねる旅に向かうために。

 

◇◆◇

 

電車を何本も乗り継ぎ、バスに揺られた先に、昔僕が住んでいた場所はあった。
ポケットの中には、あの鍵がある。
バスに揺られながら、のどかな景色を見ている内に、だんだんと見覚えのある風景が窓の外を過ぎて行くことに気付いた。バス停に着き、バスを降りる。
『嶺岸小学校前』と書かれたバス停のすぐ近くには、僕が一時期通った小学校があった。
小学校と言うには、随分こじんまりとした建物を見ながら、僕は呟いた。

「……懐かしいな」

正直、小学生の時の事は、あまり良い思い出がない。
小学生の頃から転勤が多く、あまり一つのところにいた事のない僕にとって、小学生の時の思い出と言ったら、転校に関する思い出ばかりだ。

転校初日。先生に連れられ、教室に近づく度に高まっていく胸の鼓動。
手からはじんわりと汗が滲み出て、緊張で握った拳が気持ち悪い。
扉を開けると向けられる、好奇の視線。
群がるクラスメート達。
次々と浴びせられる質問に、僕は上手く答えられずしどろもどろになってしまう。
やがて、そんな僕の様子を見て呆れたクラスメート達は、一人、また一人と僕の席から離れて行き、席には僕だけが残る。
その結果、ヨソから来た無口で面白みのない奴と言う印象をクラスメート達に与えてしまい、初日にして僕のクラスでの立ち位置は、低いものとなってしまう。

転校を繰り返すたびに、いつもこんな調子だ。
僕だって、それをよしとしているわけじゃない。何か話そうと思うのだけど、話そうとすればするほど、一体何を話していいのかわからなくなって、言葉が上手く出て来なくなってしまう。
ようするに、僕は不器用なのだ。
高校生になった今も、それはあまり変わっていないように思える。
……なのになぜ、そんな思い出ばかりが残る小学生時代を過ごしたこの場所に来ようと思ったのだろう。
きっかけは、部屋で見つけた古い鍵だ。その鍵を見つけた時に、僕の心の中に何か引っ掛かるものがあった。何か思い出せそうだけど、思い出せない。
そんなもやもやしたものが、今もずっと僕の中で燻っている。
その正体を知りたくて、僕は遠いこの場所まで来たのだ。

 

◇◆◇

 

「確か、こっちだったような……」

小学校を後にし、僕は以前住んでいた住居を訪ねてみることにした。
あの頃の記憶を頼りに、畦道を歩いていく。
目の前に広がる景色は、僕が小学生だった頃とそう変わっていないようだった。
数多い転勤生活の中、転勤先は大都市ばかりで、こんな田舎へ来た事がなかった僕は、引っ越し先へと向かう車の中、外の景色を見つめながら、ひどく不安になったのを思い出した。
そう言えば……僕がここへ引っ越して来たのは小学四年の時だったっけ。
畦道を歩いていると、少しずつ当時の記憶が蘇って来る。
アスファルト道路の上しか歩いた事がなかった僕は、ここへ来たばかりの頃は、おっかなびっくりしながらこの道を歩いたものだ。
確か、田んぼに落ちそうになった事もあったけ。
飛び出して来たウシガエルに驚いて体を後ろに引いた時に、バランスを崩して後頭部から田んぼに落ちそうになって……。
でも不思議と田んぼに落ちそうになった記憶はあっても、泥まみれになった記憶はなかった。
僕は結局、あの後田んぼに落ちたんだっけ……?

 

『大丈夫!?』

 

その瞬間、脳裏に強烈に蘇って来た光景があった。
田んぼに落ちそうになった僕の腕をしっかりと掴む手。驚いた顔をしつつ、僕の事を心配そうに見つめる優しげな瞳。風になびくやわらかな黒髪。

「みかちゃん……」

気付けば僕は、少女の名前を呟いていた。
瞬間、霧が晴れたように記憶の中にはっきりと、少女の姿が浮かび上がった。
みかちゃん……彼女は、僕が引っ越した先の隣の家の子で、僕と同い年の女の子だった。
引っ越したばかりの僕の事を何かと気にかけてくれて、彼女の母親の計らいで、毎朝一緒に学校に通っていたんだった。
田舎の学校だからクラスは一つしかなくて、学校でも彼女とは同じクラスだった。
明るく元気な子で、引っ込み思案だった僕の事を何かと気にかけてくれて、遊びに誘ってくれたっけ。
彼女の名前を思い出した途端、数珠つなぎのように過去の記憶が次々と蘇って来る。
そうだ……惨めな小学校時代、ここで過ごした期間だけは、数少ない楽しい時間だったんだ。
それなのに、僕はどうしてすっかり忘れてしまっていたんだろう。
地面を見つめながら、そんな風に頭を巡らせているうちに、いつの間にか僕の家があった付近に到着していた。
キョロキョロと辺りを見回してみる。あの時住んでいた家は、確かここら辺にあったはずだ。
赤いトタンで出来た屋根で、二階建ての一軒家。広い庭があって、庭の中には小さな古い納屋のようなものがあった。
父親が「会社が安く借り上げてくれた」と得意げに話していたのを思い出す。
すると、すぐ視界の先に、赤いトタン屋根の一軒家が目に入った。
きっと、あの家だ!  僕は小走りで、その家の前まで駆け寄った。

赤いトタン屋根で二階建ての建物。庭の中には、今にも崩れ落ちそうな古い納屋があった。
間違いない、この家は僕が昔住んでいた家だ。
家は、昔と変わらない佇まいのまま、静かに時を重ねていたようだった。
ふと、表札に目をやる。表札には真新しいプレートで、僕の名字とは違う知らない名前が刻まれていた。

「あ……」

この家にはもう、新しい住人が住んでるのか……。
そうだ、この家は会社が借り上げた物件だ。僕たち家族が引っ越したら、次に会社の誰かが住む事だって当然あり得るじゃないか。
僕はなぜか、僕たちが引っ越した後は空き家になっているんじゃないかと勝手に思っていた。
けれど、人が住んでしまっているんじゃ、勝手に庭に入るのは気が引けてしまう。

「愁ちゃんじゃないかい?」
「え……?」

突然、背後から声を掛けられ振り返ると、そこには一人のお婆さんが立っていた。

「やっぱり、あんた愁ちゃんじゃろ」

お婆さんは、にこにこと笑いながら僕に話しかけてくる。確かに僕の名前は愁(しゅう)だ。
けれど、振り返ったお婆さんの顔に僕は見覚えはない。
なぜ、このお婆さんは僕の事を知ってるんだろう?

「あ、あの、お婆さんは……?」
「何だい、もう忘れちまったんかい? 淋しいねえ。あたしゃすぐ愁ちゃんだってわかったってのに」
「す、すいません……」
「ほら、みかちゃんと一緒によく家に遊びに来てたじゃないか。はす向かいに住んでる山下の……」
「ああ、落花生ばあちゃん!」

思いだした途端、大きな声で叫んでしまい、慌てて口を噤んだ。
思いだした。このお婆さんは、僕がここに住んでいた頃、みかちゃんと一緒によく遊びに行っていた近所のお婆さんだ。
おやつによく落花生を出してくれたから、僕たちの間で、『落花生ばあちゃん』とあだ名を付けていたんだ。

「す、すいません……」

思わず、落花生ばあちゃんと呼んでしまった事を謝る。 「ははは、別に構いやしないさ」
お婆さんは、皺だらけの顔をさらにくしゃりとさせ、笑った。

「背は伸びても、雰囲気はちっとも変ってないねえ。まあ、元気そうで何よりだよ。今日はなんでまた、ここに来たんだい?」
「あの……夏休みだから、何となく昔住んでいた所に来てみようと思って……」
「……そうかい。立ち話も何だから、あたしの家に行って話さないかい? 茶ぁ出してあげるから。あ、あと落花生もね」

お婆さんの言葉に、思わず笑いが零れる。

「あ、ありがとうございます」

せっかくの誘いを断る理由もなかった僕は、落花生ばあちゃんの家にお邪魔することにした。

 

◇◆◇

 

「相変わらず、狭い所だけどね」

お婆さんに案内され、彼女の家に着いた。
こじんまりとした平屋の建物の居間に案内される。居間には掘りごたつがあり、今は掛け布団は取り払われていた。
案内されるままに、そこに座る。

「それにしても、大きくなったねえ」
「そうですね……もう、ここを引っ越してから七年くらいになりますから……」
「七年か……。子供の成長は早いねえ、ほんと……」

お婆さんと他愛もない会話を交わす。七年の歳月が過ぎても、この家はあの頃とあまり変わってないように感じる。記憶の中にある家そのままだ。

……そう言えば、みかちゃんはどうしているのだろう。

彼女の事を思い出してから、僕はみかちゃんが今、どうしているのかずっと気になっていた。
正直、彼女の家を直接訪ねるのは、何となく気恥かしい。でも、このお婆さんなら彼女の近況をきっと知っているだろう。
僕は、さりげなくお婆さんに聞いてみた。

「あの……みかちゃんは、元気にしてますか?」
「……」

みかちゃんの名前を出した途端、今まで優しげな顔をしていたお婆さんの顔に影が差した。

「あ、あの……?」

どうたしたんだろう。何か気に障る事でも言ったんだろうか。
僕が戸惑った表情を浮かべていると、お婆さんはこたつの上に置いてあるお茶を一口啜り、一呼吸置いて静かに話し始めた。

「そうか……愁ちゃんは知らなかったんだよね……」
「何か……あったんですか?」
「みかちゃんはね、行方不明なんだよ……七年前から」

「えっ……?」

お婆さんの口から信じられない単語が飛び出した。

行方……不明?

お婆さんの言葉を相図に、僕の心臓がどくどくと大きく脈を打ち始めた。

「あたしも詳しくは知らないんだけどね。何でも遊びに行ったきり、戻って来なくてねえ……」
「……遊びに……」
「村の皆、もちろん警察も協力して山も探してみたんだけど、結局今の今まで見つかってないんだよ」
「……」

耳の奥がじんじんする。キーンと耳鳴りが頭の奥で鳴り響いている。
僕の心の中の何かが、そわそわと騒ぎ始めている。
何だ? この胸騒ぎは一体何なんだ?

「そう言えば、行方不明になった日は、ちょうど愁ちゃんとこが引っ越す日だったかね。だから、愁ちゃんが知らないのも無理ないかも知れないねえ」
「そう……ですか」

さっきから、胸の動悸が収まらない。
ふと手元を見ると、両手で持っている湯のみが手の震えでカタカタと震えていた。

「ここを出たら、みかちゃんの家にも顔を出しておくれよ。きっと、歓迎してくれると思うからねえ」
「……お婆さん……僕、ちょっと用事を思い出したので失礼しますっ!」
「ちょっと、愁ちゃん!?」

僕はそう言うと、驚くお婆さんの声を背に、家を飛び出した。

「はあっ……はあっ……!」

さっきまで歩いていた畦道を、僕は全力疾走で駆け抜けていた。
頭の中で、お婆さんの会話がぐるぐると巡っている。

 

行方不明。

行方不明。

行方不明。

 

その言葉が響くのと同時に、僕の記憶の中でじわじわと蘇って来るものがあった。
仄暗い記憶の底から這い上がって来る何かが、僕を駆り立てている。

そうだ、あれは……。

 

◇◇◇

 

『あっ!!』

ガシャン! 大きな音を立てて、僕の部屋に飾ってあったプラモデルが床に落ちた。

『ご、ごめん……』

みかちゃんが、しゅんとした表情で僕を見た。
ロボットのプラモデルは、床に落ちた衝撃で肩の部分が外れ、一部はヒビが入り欠けてしまっている。
誕生日にお父さんから買ってもらって、一生懸命組み立てた僕の宝物だった。
みかちゃんを見ると、今にも泣きそうな顔でこちらを見ている。

『い、いいよ、気にしないで……わざとじゃないし……』

そんな彼女に怒るなんて事が出来るわけもなく、間抜けな笑顔を作り彼女に答える。

『でも、宝物だったんでしょ? ほんとにごめんね……』
『だ、大丈夫だから……』
『そうだ、お詫びに私の秘密の場所に連れてってあげる!』
『秘密の場所……?』

そう言って彼女が連れて来たのは、小学校の裏手の山の中にひっそりと立てられた、朽ちた平屋の一軒家だった。

『ここね、私が見つけた秘密の場所なんだ。まだ誰にも教えてないの』

みかちゃんが得意げに僕に言う。
昔ながらの作りのその家は、既に天井は自然の風化によって一部抜け落ちていて、青々とした木々がぽっかり空いた天井から顔を出していた。

木の葉があちこちに入り込み、歩く度に枯れ葉を踏む音が響く。
キョロキョロと辺りを見回してみると、天井が抜け落ちた部屋以外は、比較的部屋の体裁を保っているようだった。

『すごいね……』

天井から顔を覗く木々を見上げながら、驚きの声を上げる僕を、みかちゃんは得意そうな顔をして見ていた。

『私達だけの秘密の場所だからね。誰にも教えないって約束だよ』

そう言って、彼女はすっと小指を差し出した。

『う、うん……』

彼女が差し出した小指に自分の小指を絡める。
柔らかなその感触に、僕の小指が少し震えた。

 
――――――――私達だけの秘密の場所だからね――――――――。
 

◇◆◇

「くっ……はぁっ……」

全身から噴き出す汗を振り払いながら、僕は急ぐ。
すでに日は西に傾きつつあり、空の端がオレンジ色に変わり始めている。
宵闇の迫る中、僕は学校の裏手の山を駆け上がった。

どこだ、どこだ、どこだ……!

感だけを頼りに、山の中をひたすら駆けて行く。
やがて、僕の眼前に朽ちた建物が現れた。
……間違いない、あの建物だ。
ごくり、と喉が鳴る。走り回って熱いはずの体が、芯からすうっと冷めて行く。
汗とは違う冷たい水が、額から頬にかけてすっと流れた。
……僕は躊躇する事なく、その中へ一歩踏み出した。

 

◇◇◇

 

『愁ちゃん』
『み、みかちゃん』

引っ越しの日。まだ午前中だと言うのに、みんみんと五月蝿いセミの合唱が響く。
両親がまだ終わらない荷造りにあたふたしている様子を眺めながら、ぼうっとしている僕に、みかちゃんが声を掛けて来た。

『ど、どうしたの?』
『愁ちゃん、今日引っ越しなんでしょ』
『うん……』
『ねえ、ちょっと抜けだせる?』
『……』

ちらりと両親を見る。両親は引っ越し会社の人とのやり取りに忙しくて、僕の事など頭にないようだった。

『うん……』

僕はこくりと頷いた。そして彼女に連れられ、あの二人の秘密の場所へやって来た。

『ねえ、かくれんぼしよう』
『かくれんぼ……?』

突然の申し出に訝しむ僕を尻目に、みかちゃんは何だか楽しそうに続けた。

『私が今からこの中で隠れるから、愁ちゃんは私がどこに隠れたのか探してね』
『う、うん、わかった』
『見つけたら、ご褒美上げるから。じゃ、目つぶって!』
『うん』

言われるまま僕は目をつぶり、その場にしゃがみ込むと、数を数え始めた。

『いーち、にーい、さーん……』

山の中だと言うのに、セミの音もなく静かなその場所に、僕が声を数える声だけが響いた。
100までを数え終え、立ち上がり周囲を見る。
しん……と静まりかえった周囲は、僕以外、誰もいないように思えた。
夏だと言うのに、どこかひんやりした冷気が肌を刺す。

『みかちゃん……』

頼りなさげに彼女の名前を呼ぶ。けれど、当然のように返事はない。
僕は足をもたつかせながら、みかちゃんを探すべく、部屋の中を探し始めた。
けれど、大して広くもない平屋の建物の中のどこを探しても、みかちゃんの姿は見つからなかった。

『みかちゃん……どこにいるの?』

探し疲れた僕は、疲れてその場に座り込んだ。
六畳の畳の部屋は、屋根がまだ残っているせいか、比較的綺麗だった。
もしかして、帰っちゃったのかな……。
今日で、みかちゃんと会えるのは最後なのに……。
そう思うとじわりと涙が出て来た。
……そうだ。今日で、みかちゃんに会えるのは最後なんだ。
今まで、無意識に考えないようにしていた事が、ありありと目の前に迫って来る。
ここで過ごした期間は、とても楽しかった。
……それは、みかちゃんがいたからだ。
新しい学校の事を考えると、とても憂鬱だった。
本当は、引っ越しなんかしたくない。でも……それは、僕にはどうしようもない事だった。
みかちゃんは……どう思ってるんだろう。
みかちゃんは、明るくて誰にでも優しくて、クラスの人気者だった。
一緒に朝登校する僕を、羨ましがる子だっていたぐらいだ。
みかちゃんにとっては、僕がいなくなる事は大した事じゃないのかも知れない。
一緒に過ごした日々も、そのうち、ただの思い出になる。
そして―――――――――。

『忘れられちゃうんだ……』

呟いた言葉は、しんとした空気に吸い込まれた。
その時、ゴトっという微かな物音が聞こえた。音のした方を見ると、部屋に置かれている長持が視界に入った。

『あれ……』

よく見ると、長持の中から白い布がはみ出ていた。 長い間、仕舞われていた布にしては、随分新しいように見えた。
もしかして……。
僕は、そっと立ちあがると、長持へと歩み寄った。
長持の地面には、解かれた錠前と、その鍵らしいものが無造作に置かれていた。
僕は息を潜めて、そっと長持ちの蓋を開けた。

『……』

そこには、スヤスヤと眠る、みかちゃんがいた。
……きっと、待ち疲れて眠ってしまったのだろう。

『みかちゃ……』

みかちゃんの名前を呼ぼうとして、はたと止まった。
もう少し、彼女の寝顔を見ていたいと思った。
彼女の眠りは深いようで、じっと見ていても身動き一つしなかった。
長い黒髪だけが、風に乗ってさらさらと揺れている。
その髪に、そっと触れてみた。
絹みたいに柔らかい髪は、掬った手のひらから、さらさらと零れ落ちて行く。
何だか、ひどく安心した。
けど……彼女が目を覚ました時、それも終わってしまう。
このまま彼女も他の子達と同じように、僕の事などきっと忘れてしまうのだろう。
……それを思うと僕の心の中が、ざわざわと一気に騒ぎ始めた。
 
――――――絶対嫌だ。

今まで感じた事のない感情の渦が、荒波となって僕の中を暴れている。

嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!

……どうしたらいい?
どうしたら、僕は彼女の中に、ずっといられるんだろう?

 

そうだ。
閉じ込めて、僕だけの宝物にしてしまえばいいんだ。

 

僕は、箱の蓋をそっと閉めた。
そして地面に転がっていた錠前を拾い上げると、再び箱に錠を掛け、駆け出した。
……ポケットに、錠前の鍵を忍ばせて。

 
◇◇◇
 

「……」

部屋の中、枯れ葉を踏む音だけが響く。
僕は迷うことなく、あの部屋まで進んで行った。
部屋に近づく度に、ポケットの中に閉まってある鍵が重さを増していく。
やがて、目的の部屋についた。
ひんやりとした冷気。部屋の中は茜色に染まっている。
その部屋の中……黒く、存在感のある長持が置かれている。長持には当然、鍵が掛ったままだ。
僕は、ポケットの中の鍵を取り出し、錠前に差し込もうとした。
けれど、手が震えて上手く錠前の穴に入らない。カチャカチャという金属音がやけに室内に響いた。

カチャリ。

何度めかの挑戦で、ようやく錠前が開いた。錠前を取り、長持の蓋に手を掛ける。
さっきよりも目に見えて手が震えているのがわかった。
一呼吸置いてから、僕は長持の蓋を一気に押し上げた。

「みかちゃん……」

そこには、既に白骨化した少女の亡骸があった。
必死で出ようとしたのか、箱の至るところには、爪で掻きむしったような跡が見て取れた。
ところどころ、どす黒い染みもついている。
彼女は暗闇の中、僕が見つけてくれるのをどんなに待ち望んだのだろう。
けれど一向に僕が探しに来る事はなく、絶望と恐怖と飢えが彼女を襲い、 そして……死んだ。
僕は、自分のした事の恐ろしさに気付き、自分からみかちゃんの事を忘れてしまったんだ。
あれだけ忘れたくない、忘れて欲しくないと望んでいたのに……。
ふと、彼女の手元を見ると、一通の手紙を握りしめていた。
それは、いかにも小学生の女の子が持っていそうなカラフルな動物のキャラクターが描かれたものだった。
僕は、彼女の手から手紙をそっと抜きとり、それを見てみた。
そして視界に入った文字を見た途端、言葉が詰まった。

 

『愁ちゃんへ』

 

そこには、みかちゃんの文字で大きく僕の名前が書かれていた。
これは、僕への手紙……?
流行る気持ちを抑えて、丁寧に手紙の封を切っていく。

 

『愁ちゃんへ

違う学校に行っても、私の事、ぜったいに わすれないでね。

夏休みになったら、またこっちに来て いっしょに遊ぼう。

やくそくだよ。

                         みか』

 

「…………」

ぽたり。

気がつくと、便箋にはいくつもの染みが出来ていた。
ぽたり……ぽたりと止めどなく便箋に落ち、新しい染みを作る。
それは、僕の涙だった。
箱の中、彼女の髑髏を拾い上げた。
僕に純粋な好意を湛えていたあの瞳のあった場所は、今や暗澹たる眼窩があるだけだった。
……僕は静かに、彼女に口づけをした。
ひんやりした冷たさが、唇に伝わる。
無機質なその感触が、なぜだかひどく心地よかった。

「……ごめんね」

僕は、自分が何をすべきか理解していた。
彼女を胸に抱き抱えたまま、骸のある箱の中へ、自ら入っていく。
長方形の箱の中。少し膝を曲げ、彼女の亡骸を抱え込むようにして、僕の体は何とか箱に収まった。
……もう絶対、君のことを忘れたりなんかしないから。

 

こうして僕は、世界を閉じた。
君を、永遠に忘れないために。

 

 


 

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